昨日はこちらに。
オープニング、NPO法人心塊プロジェクトキッズ団によるパフォーマンス。
心打たれたのは、こども達自身の奥底から湧き出る表現。
我が子が以前チアをしていたから、普通に見ている人に全身をつかって伝える表現の難しさはなかなか大変だったことを思いだし
表現するということは、大きな動きだけではない、また新しい発見をさせて頂いた。
そこに血の通った心というか、思いが存在するか、ということも、見ている人への伝わり方が違うように感じだというか…
舞台に上がっているこの日のこども達に、何か、久々に感動しました。
うまく言えないのですが、日々、もっと自分の魂こめて全力でやりたいことに臨まなきゃと、この投稿を書きながら思いました。
第一部の講演を聞いて、自分に響いたことを少しメモとして。
大阪のTSURUMIこどもホスピスの水谷さんのお話から
・どんな状況にあってもその子らしく…
・ホスピスが遠い存在にある根底には、死を語りにくい日本の文化
というのが強く残った。
一つ目の当たり前のような言葉だけれど、その当たり前がまだ今は難しい状況でもある。
短い時間で治るのであれば、多少なりとも我慢して元気になったら、、、と考えられるけれど、一生向き合っていく、あるいは、残り時間が限られた中でどう過ごしていくか、というのは「治療」と同じ重さだけ、「日常の当たり前の生活」も大切になってくる。
二つ目の死について。死を口にしたり、考えたりすること自体がよくないこと、という日本文化の一つの考え方が背景にあって、こどもの両親ですら、それに苦しめられる。死を認めることは諦めなんじゃないか、こどもへの裏切りなんじゃないかと、苦しめられる。
でも、現実は隣り合わせにある状況で、どれだけ周囲にそれを話して、こどもも家族も、どう豊かに生きるかについて考えられるか、こどもホスピスという存在にノックすること自体がハードルの高いものになっていて、そこに触れられないゆえに、その先にある豊かな生活や思いをサポートしてくれる存在にアクセスしづらいこともまだまだあると。
もちろん、同じ病気のママに話を聞いてもらうだけでも救われる部分はあるけれど、こどもホスピスにいるプロに心のサポート受けられるのはとても心強いと思う。
横浜こどもホスピスのスタッフ梶原さんのお話しからは、一言ではうまく表せないのですが
こどもの幸せを一緒に考えていく仲間としてこどもホスピスが存在し、そしてお子様にとっても家族にとっても豊かに生きる、という時間を作れたことが、横浜であったことで実現した実体験の声として、深いお話をして頂いた。
一方で、本当に必要なことなのに、日本全国でそこにアクセスできる環境は、まだまだ遠いなあというのも会場にいた皆さんが感じたことなのかもしれません。
久々に横浜に行きましたが、滞在時間2時間。でも、会いたかった人にも会えて、よき時間でした。
また、しっかり自分がやるべきことと、自分と家族がどう生きていきたいのかを、自分に問いかけていきたいと思います。